我慢する価値あるものとそうでないもの。なんのために苦しい思いをするのかについて考える。
みなさんは、日常生活の中で「これをしている時間って苦痛だなー」ということはありますか?
私は、「ある考え方」を知ってから、「はぁー、嫌だなー、面倒だなー」と感じる時間が減りました。
その考え方とはなにか?
まず、ひとつめ。
「今の、この我慢は自分の将来の幸せや目標につながものなのか?」
ふたつめ。
「ひとつめの考え方をした時に、その我慢が、自分にとって価値あるものではない場合は、我慢するのをやめる」
例えば、野球部に所属しているA君とB君の場合。
その野球部は全国大会で数回、優勝経験のある日本屈指の強豪校です。
日々の練習は、とにかく厳しく、そのキツさに耐えられなくなり部活を辞める生徒も多数います。
A君にとっても、B君にとっても、練習の苦しさ自体は変わりません。
ただ、この2人には異なる点があります。
それは、A君は将来、プロ野球選手を目指しており、いまこの苦しさを乗り越えることが、今後の技術、メンタルともに役立つ経験となります。
一方、B君は仲の良い友達が野球部に入るという理由だけで入部しました。
野球にのめり込むこともなく、「途中で辞めるのはよくない」という固定概念のようなものに縛られ、ただただ辛い毎日を送っています。
A君=価値のある我慢
B君=価値のない我慢
となります。
自分の過去を振り返ってみても、「あの時、我慢して耐えてよかった」と思えることと、「なんのために、あんな苦しい思いをしていたんだろう、今思えば別にそんな必要なかったのに」と考えることがあるのではないかと思います。
仕事でも、恋愛でもなんでも、価値のない我慢は時間を浪費するだけではなく、その我慢の種類によっては、妖怪見返りババアになってしまいます。
「私はこれだけ我慢しているんだから、お前ももっとがんばれよ!」
「私はこれだけ苦しい思いをしているのに、お前だけフラフラ遊んでずるい!くそが!」
というやつです。
「素敵な彼女、彼氏、社会人はこうあるべき」という自分や社会に対する理想像がある方や、真面目な方、ついつい頑張りすぎてしまう方に多いのではないでしょうか。
昔からの風習的に「長続きするのが良いこと」みたいな空気があるかと思いますが、必ずしもそうではないと思います。
人生は有限です。
1日も早く「私はこれ!」というものを見つけて、その中で鍛錬、修行をし続けることが、自分の幸せにつながると思います。
と、私みたいな若輩者が言っても説得力ないですね〜。
でも。
昔、好きでもないバスケ部に入って「早く練習終わらへんかなー」と何回も時計見るけど、だいたい5分しか経ってないとか、朝起きる度に「練習行きたくない、はぁあ」という毎日とか。
当時付き合ってた彼氏と同棲していた時に「私が全部やらなきゃ」って、仕事終わりに2人分の家事を無理にがんばって、それがストレスとなり、ある日とつぜん爆発、全身鏡を大破してしまった(物は大切に)日とか。
その時間かき集めたら、すごく膨大な日数になるなーって、しみじみと感じています。
過去を否定するようで嫌ですが、はっきり言って時間の無駄遣いでした。
その我慢って結局、何も生み出しませんでした。
もっと好きなことに時間を使えたのに、って今になって思います。
与えてもらった時間を大切に*
おしまーい!