🍁社会人留学生が通訳になるまでの軌跡🍁

カナダに社会人留学中です* 現地での生活についてつづります。

我慢する価値あるものとそうでないもの。なんのために苦しい思いをするのかについて考える。

みなさんは、日常生活の中で「これをしている時間って苦痛だなー」ということはありますか?

 

私は、「ある考え方」を知ってから、「はぁー、嫌だなー、面倒だなー」と感じる時間が減りました。

 

その考え方とはなにか?

まず、ひとつめ。

「今の、この我慢は自分の将来の幸せや目標につながものなのか?」

 

ふたつめ。

「ひとつめの考え方をした時に、その我慢が、自分にとって価値あるものではない場合は、我慢するのをやめる」

 

例えば、野球部に所属しているA君とB君の場合。

その野球部は全国大会で数回、優勝経験のある日本屈指の強豪校です。

日々の練習は、とにかく厳しく、そのキツさに耐えられなくなり部活を辞める生徒も多数います。

 

A君にとっても、B君にとっても、練習の苦しさ自体は変わりません。

ただ、この2人には異なる点があります。 

 

それは、A君は将来、プロ野球選手を目指しており、いまこの苦しさを乗り越えることが、今後の技術、メンタルともに役立つ経験となります。

一方、B君は仲の良い友達が野球部に入るという理由だけで入部しました。

野球にのめり込むこともなく、「途中で辞めるのはよくない」という固定概念のようなものに縛られ、ただただ辛い毎日を送っています。

 

A君=価値のある我慢

B君=価値のない我慢

となります。

 

自分の過去を振り返ってみても、「あの時、我慢して耐えてよかった」と思えることと、「なんのために、あんな苦しい思いをしていたんだろう、今思えば別にそんな必要なかったのに」と考えることがあるのではないかと思います。

 

仕事でも、恋愛でもなんでも、価値のない我慢は時間を浪費するだけではなく、その我慢の種類によっては、妖怪見返りババアになってしまいます。

 

「私はこれだけ我慢しているんだから、お前ももっとがんばれよ!」

「私はこれだけ苦しい思いをしているのに、お前だけフラフラ遊んでずるい!くそが!」

というやつです。

 

「素敵な彼女、彼氏、社会人はこうあるべき」という自分や社会に対する理想像がある方や、真面目な方、ついつい頑張りすぎてしまう方に多いのではないでしょうか。

 

昔からの風習的に「長続きするのが良いこと」みたいな空気があるかと思いますが、必ずしもそうではないと思います。

 

人生は有限です。

1日も早く「私はこれ!」というものを見つけて、その中で鍛錬、修行をし続けることが、自分の幸せにつながると思います。

 

 

と、私みたいな若輩者が言っても説得力ないですね〜。

 

でも。

昔、好きでもないバスケ部に入って「早く練習終わらへんかなー」と何回も時計見るけど、だいたい5分しか経ってないとか、朝起きる度に「練習行きたくない、はぁあ」という毎日とか。

 

当時付き合ってた彼氏と同棲していた時に「私が全部やらなきゃ」って、仕事終わりに2人分の家事を無理にがんばって、それがストレスとなり、ある日とつぜん爆発、全身鏡を大破してしまった(物は大切に)日とか。

 

その時間かき集めたら、すごく膨大な日数になるなーって、しみじみと感じています。

過去を否定するようで嫌ですが、はっきり言って時間の無駄遣いでした。

その我慢って結局、何も生み出しませんでした。

 

もっと好きなことに時間を使えたのに、って今になって思います。

 

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与えてもらった時間を大切に*

 

おしまーい!